振り返り③
中二でクラス替え。ここで小学校から仲が悪い女の子と一緒のクラスに加え、部活に行けない後ろめたさから、人間関係がうまくいかず、ストレスを感じ始める。また登校も朝から行けないので、新しいクラスでクラスになじめず、起立性調節障害に加えて気持ちも負けるようになってきた。
担任の先生は去年から引き続き同じであったため、油断していたが、この先生は専科の先生で学校全体の科目の授業を一人でみる先生。相談しても軽くあしらわれる。そして、まじめですからねと少し馬鹿にした調の言い方。みんなにそうなんだよな。サバサバした性格だが、相談しても歯切れが悪く、お願いしたら、やっていますと言い切る人。でもそんなことはない。やっていない、知らないと言えない人という印象だった。(多忙でこの時のクラスは配慮すべき生徒が複数いたので余裕がなかったのか?と今は思う)
教師というプライドがある人なのか、強気である鎧をまとっていないと自分が成り立たせられないのか?そんな風に見える先生だった。
たださばさばしていて人当たりがいい。そういう意味で、こういうひとだからこそ、中学校の先生としてやっていけるのかもしれない。
さて娘の話から少し遠ざかるが、担任の先生、部活顧問からの理解がないことから部活から遠ざかったこと、クラスになじめないことから気持ちが負のスパイラルに陥る。
そこから梅雨の気圧の不安定さで学校に行けずに中学2年生一学期は欠席日数が50日を超えた。
学校に行けないと評定がつかない。試験をうける意味がわからない。でも学校に行けるかどうかより、そこまでの範囲を終わらせるという意味で課題をさせることにした。
遅らせながらも課題を提出させにいったら、ある教科担任の先生にすごい剣幕でおこられたと早退して帰ってきた。
学年全体でみていくと担任の先生はタンカきっていったのに、この有様だ。ますます、こんな学校行かなくていいと思った私。
そして娘の学校に行きたくないも拍車がかかった。娘のインスタで匿名で学校に来いよ(笑)というメッセージが来たようだった。こんなの同じ学校のメンバーしかいない。一学期最終日はそんな奴への反発から学校に行った。
そして案の定、行っても居場所がないとことを感じ、2学期からは行かない選択をすることとなった。
そしてそのころ通信高校の中等部に入ることも決まっていたので学校はしばらく行かなくていいと私は認めていた。
このまま無理に行けせてもいいことがない、本人のメンタル面が特にそう思わせた。
旦那は行けるときは学校に行くというスタンスは変わらなかったのでここは理解をもとめてもむだと思い、娘と私だけの話となる。学校から距離をおくと決めたのだから、夏休みの宿題も全くやらないことになる。
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